
増販され1万部!
著者印税全額を、東日本大震災復興支援・国連UNHCR協会・対がん協会(子宮頸がん基金)へ寄付しています。
さまざまな宿命を乗り越えた39歳のシンガーソングライターが贈る、夢と希望の物語。子宮頸がんを患い、子宮をすべて摘出したシンガーソングライターの闘病記。
2001年、突然、健康だった体に訪れた子宮頸がんたった一ヶ月で私は「生きる」か「子宮」かという選択をし なければならなくなった。手術を選び、目が覚めたときには「全身管まみれ」になっていた私。だけど、子宮頸がんになって一番つらかったのは、病院の中では なかった。がんの本当の苦しみ…
それは退院後に襲われた「家族の崩壊」と「精神の崩壊(うつ)」だった。子宮がなくなり、夫は離れ、新しい恋人とも 結ばれず、うつになってシングルマザーに。生きていくことができず、大切な娘を預けて上京。さまざまな「宿命」を背負って生きてきたけど、あるきっかけか らそれが「使命」だったと気づくと、がんの体験も含めてすべてが前向きに動き出した。 人とのつながりがシンガーソングライターという仕事を呼び、ボランティアもできるようになった。国連UNHCR協会・協力委員にも認定され、いまこの瞬間 も、人々に生きる力を伝えようと、日夜全国を駆け巡っている。
もっと生きていくことを大切にしたい。心からそう思わせてくれる一冊です。
それは退院後に襲われた「家族の崩壊」と「精神の崩壊(うつ)」だった。子宮がなくなり、夫は離れ、新しい恋人とも 結ばれず、うつになってシングルマザーに。生きていくことができず、大切な娘を預けて上京。さまざまな「宿命」を背負って生きてきたけど、あるきっかけか らそれが「使命」だったと気づくと、がんの体験も含めてすべてが前向きに動き出した。 人とのつながりがシンガーソングライターという仕事を呼び、ボランティアもできるようになった。国連UNHCR協会・協力委員にも認定され、いまこの瞬間 も、人々に生きる力を伝えようと、日夜全国を駆け巡っている。
もっと生きていくことを大切にしたい。心からそう思わせてくれる一冊です。